大河ドラマの歴史

大河ドラマの第1回目は1976年「花の生涯」です。
この当初は現在の大河ドラマという名称ではなく、「大型時代劇」と呼ばれていました。
しかしこの「花の生涯」の回数を重ねる毎に歴史ドラマとして注目を浴びるようになり、「大型歴史ドラマ」と言われるようになりました。

それが現在の名称になったのは、読売新聞が第2回目の「赤穂浪士」の紹介に大河小説になぞらえて「大河ドラマ」としたのがきっかけで、一般的にこれが浸透。
肝心のNHKがこの名称を用いたのは、1977年(昭和52年)3月、NHKでシリーズ15周年記念番組『大河ドラマの15年』という放送をした時になります。

因みに、第30作『信長 KING OF ZIPANGU』から第33作『花の乱』までの3年間4作品はNHKの子会社であるNHKエンタープライズに制作が委託されていました。
第34作『八代将軍吉宗』でNHK本社の制作、1年通しての放送に戻されました。
当初は連続テレビ小説のやり方にほぼ準じて、1年を年度上半期と下半期の半年完結で展開する方針が計画されており、その準備段階として「琉球の風」を1993年1-6月の半年間、「炎立つ」は1993年7月-1994年3月という変則体制にし、それ以後は4月・10月にそれぞれスタートする半年間のシリーズとする計画で「花の乱」もこれに則って1994年4月開始としましたが、この計画が不評だったためか「花の乱」も1994年12月までの放送という形にし、「八大将軍吉宗」以後は元の1月開始・12月終了の1年1シリーズに戻されています。

 
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